抽象と具体の架け橋

できることを増やすために様々な活動をしています。 誰かの新しい挑戦の糧になれば幸いです。

「趣味」という言葉に関する考察 ”自分の興味を見つけるために”

みなさん、こんにちは。

本稿は言葉に関する考察記事となる。

私は、週末の過ごし方についてを話題とすると「多趣味だ」と評価をうけることが多い。

「多趣味」は少数派だという認識がある。

そこで、私がどうして「多趣味」と捉えられているのか、について話題にしてみたい。

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桜の花が満開ですが、 趣味としては 花見か? 散歩か? 写真か?

 

趣味とは何を意味するか

私の記載するような趣味は

「料理、バイク、水槽、ダイビング、登山、映画、旅行」などだろうか。

 私は上記のように色々な活動をし、それが話題になるから、「多趣味である」と意見をもらうことが多いのだと考えている。

 

例えば、「旅行に行ってきた」と言ったとき、どういう内容を指しているのだろうか?

そして「旅行に行ってきた」と伝えた時の、私の動機(その表現を使用した理由)はなんであろうか?

 

一つの仮説

この問いは一つの仮説から背理的に考えているものだ。

その仮説とは、「趣味」という言葉が抽象的な表現であるということだ。

私は趣味が旅行だという表現を使って、旅行が趣味であるということにしておきたいのである。

つまり、趣味とは過去の活動をひとに伝える目的で簡素化した表現ではないだろうか。

 

結果

さて、ここで私が冒頭にかいた「多趣味でよかった」という文章に立ちかえってもらいたい。 実は私は、自分が多趣味だとは思っていない。

 

私の行動指針は「やりたいと思ったことをやれるように、できることを増やしておく」

だけだ。 例えば上にあげた例の各目的は、

 ・登山 → 踏破能力が欲しい

 ・バイク → 移動手段が欲しい

 ・料理 → 美味しいご飯が食べたい

 ・ダイビング → 知らない世界に踏み出す技術を身に着けたい

 ・水槽 → 緑のある部屋を作りたい

 ・映画 → 知らない世界を知りたい

 ・旅行 → 物理的な距離が離れた土地で生活できるようになりたい

と、一つ一つには個別の理由があり、私の趣味はその集合体でできている構造だ。

 

しかし、それを一つ一つ説明する機会はとても少ない。

なぜなら、趣味の数、種類は重要な観点ではないのではないと思っているからだ。

そのうえで、全てを説明することを諦め「週末は○○していた」と話すに留まっている。

 

多趣味でよかった とは

私は、できることが増えることが面白い。

分かりやすい例では、ダイビングができるようになれば嬉しい。

私の人生でとても役に立つ技術であろう。

 

そう、できることが多い状態が私にとって何より嬉しいのだ。

だから、何でもできるようになりたいという動機から、色々なことを身に着ける活動をしている。

 

趣味は多ければいいものでもないし、趣味を続けることにも意味は薄いと思う。

何が好きで・面白くてその趣味を続けているのか、

何をしたら好きなことに没頭できるのか、

そのきっかけを「趣味」を振り返る言葉から見つけられたら良いと思う。

 

Sany.