抽象と具体の架け橋

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報道内容は偏りやすい? ”無意識の損得勘定を見つける”

みなさん、こんにちは。

世間話はなぜか同じ論調であるから、冒頭や雑談に利用しやすいが、どうして同じ論調になるのだろうか?

報道が事実を伝えるのであれば、偏る物だろうか。

その仕組みを考えてみたい。

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せっかくなので、桜の報道をもっと見たいものだ。

 

報道とは

報道とは「広く報知を行うための表現活動」と言えるだろう。

公器としての報道は、事実を正確に伝えるものであり、

娯楽としての報道は、意味性や解説を加え、わかりやすさ、面白さを提供するものである。

では、新聞はどちらに含まれるか。 基本的には公器としての報道に含まれるものが多い。が、見出しの意図性(悪意、善意など)を見る限り、言動による誘導があるのは否定できない。

(例:隔離施策に対して「苦渋の選択」と表現するか、「犠牲者多数」と表現するか など)

 

世の中はクレームだらけ?

意見にはネガティブと、ポジティブな内容との二つがある。

しかし、なかなかポジティブな意見というのは世の中で表現されない。それはなぜだろうか。

 

答えは、ポジティブな表現をするモチベーションは、ネガティブな表現をするモチベーションより弱いからだ。

 

損をした時に文句を言い「自己を正当化し損を取り戻す」のと、得をしたときに感謝を述べ「他人を喜ばせる」のと、どちらにエネルギーを割くだろうか。

大事なのは、したい・したくない ではなく、どちらの行動をとっているかだ。

 

圧倒的に「自己を正当化し損を取り戻す」行動だろう。

そのため、お客様センターは多くの企業に存在するが、ファンレター窓口がある企業は少ない。

 

我々は「損の取戻し」に対して積極的で「得の共有」に対して消極的なのだ。

なので、報道に求める情報に「私が損をしないための情報」が含まれる。

もちろん報道機関もこの構図を良く知っている。

 

例えば、公正な報道機関であれば、「都知事が○○を要請」と表現するが、娯楽要素がつくと「ってことは外出もできないってことでしょ?」と個人の感想が加わる。

 

情報の取り扱いについて

よく、情報は取り扱いが大事だと言われる。

媒体や出所によって信用性が変わってくる。どこまでが事実であり、どこからが意見や感想などなのか見分ける力は、振り回されないためには重要だ。

 

その力は、誰かに頼っているといつまでも身につけられない

初めのうちは「私は○○だと考えるが、世間はどうだろうか」という、自分なりの結果予想をすることからでも始めてみるのはいかがだろうか。

Sany.